安藤百福の不可能を可能とするマインドセットを学べ!カップヌードルミュージアムはアイディアの宝庫だった!

辰巳勝則
今回はお出かけ企画です。家族で日清食品創業者の安藤百福さんに会いに行ってきました。

せっかくの休みだったので今日は家族サービスを兼ねて研究日にしました。途中から娘が大好きなMr.T(ワケがあって名前は明かせない)と待ち合わせをし、行き先は安藤百福さんで知られる「カップヌードルミュージアム」に決定!

※「安藤百福発明記念館」とも言うみたいですね。

実のところ「カップヌードルミュージアム」は今回で3回目です。娘にいたっては小学校の遠足を含めて5回目とのこと。とはいえ、行くたびに何かと学びになるスポットでもあります。起業家なら是非行って来て欲しいですね。

娘は「カップヌードルミュージアム」をMr.Tに案内したいということでノリノリでした♡

自宅からJR桜木町へ移動!

さて、行き先は赤レンガが立ち並ぶ「みなとみらい」です。福山雅治さんのコンサート会場で有名なパシフィコの隣あたりですね。JR桜木町の駅前でMr.Tと合流した私たち家族は駅構内にあるオシャレなカフェに移動しました。

コーヒーや紅茶を飲みながら本日の段取りを打合せしているところです。

ようやくMr.T登場です。

本日のターゲットとなる「みなとみらい」へ移動!

まずは「カップヌードルミュージアム」の目と鼻の先にあるワールドポーターズで軽くランチです。ここは子供から大人までゆっくりとできるスペースがあるのでおススメです。

まずは腹ごしらえといきましょう!

カップヌードルミュージアムへ!

ランチの後は本日のメインイベントでもある「カップヌードルミュージアム」に移動します。雨なのでいつもよりも来場者は少なそうですね。

取締役の妻に並んでもらいチケットを購入。500円×4人分。もちろん研究ですので経費で落とす予定です。相変わらずこういうところは細かいです。なにごとも「消費」ではなく「投資」と考えるのが経営者ですからね。

毎度恒例の体験工房はマイカップヌードルファクトリー/チキンラーメンファクトリーともに予約で満席とのことでした。今日はそれほど人はいないと思っていたのですが、本会場ではお客さんで一杯なのでしょうか。

というわけで、娘のために付き合いしてくれたMr.Tの新幹線の都合もあるので今回は1時間コースで回ることにします。

カップヌードルミュージアム館内に入りました!

館内に入りました。これがチキンラーメン第一号の商品です。今から60年前ですが今とデザインは変わりませんね。

おお!あるある。こいつらにはいろいろとお世話になりました。ちなみに辰巳はどん兵衛の大ファンです。今でも月1くらいで特盛を食べています。200円の価値はありますね。

どん兵衛の見分け方のポイントはココ!

ご存知かと思いますが、どん兵衛は関西と関東、そして後ほど開発された北海道では味付けが微妙に違います。

北海道はラベルに「北海道限定」と書かれているので分かります。しかし、関東のドン兵衛と関西のどん兵衛についてはラベルを見ただけでは見分けられません。とはいえ、実は見分け方があります。

知りたいですか?知りたいですよね?カンタンです。

表記の一部にW(WESTつまり西)やE(EASTつまり東)という記号で振り分けられているのです。

関東版/関西版はここで見分けることができます。

実際に食べてみると、関東版のスープは鰹節ベースで、色も若干濃いめ。関西版は、昆布をベースとした甘みプラス、旨みのあるスープです。北海道版は、利尻昆布出汁のきいたスープで、関西版とやや近い味付けですが、甘みは少なく、出汁で勝負しているという印象です。

個人的には生まれが関西だからなのか、関西のどん兵衛の方が好きですね。関東のどん兵衛は麺を食べた後のスープを残してしまいますが、関西のどん兵衛はスープまで飲み干しています。

たしか、、、愛知県から西は関西味だったような気がしますね。間違っていたら教えてください。

あなたは関西派ですか?それとも関東派ですか?

愛する娘もTに会うことができて満足の様子です♡

何度見ても気づきのある百福シアターへ

続いて、こちらがおすすめの「百福シアター」です。たった15分の映画ですが、起業家であればここで放映されている映像から多くの気づきが得られると思います。子供向けではありますが、大人も十分楽しめます。奥が深くとても興味深い内容です。

なにせ90歳を過ぎても現役バリバリでしたからね。45歳の私にとっては自信になりました。疲れ切っているアラフォー日本人はこれを見て自ら喝を入れてもらいたいところです。

安藤百福さん、最高です!

映像をカメラで撮る訳にはいかないので、一度マジで来てくださいね!お子さまの情操教育にもおすすめです!大人なら「オレも頑張らなアカン!」となると思いますよ。

発明前から発明後までの流れ

事業の失敗よりリベンジに燃えた安藤百福さんがチキンラーメンを発明するために裏庭に立てた小屋です。めっちゃレトロです!3丁目の夕陽に出てきそうですね。

娘が率先して家族とTを案内してくれました♡♡♡

睡眠時間はたったの4時間。寝る間を惜しんで朝から晩までこの小屋でラーメンの試作を繰り返したそうです。戦後の逆境を使命によって突き動かされた安藤百福さん。我々のような起業家もこうでなければなりませんね。

安藤百福さんは1910年生まれ。1958年に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発明。このとき安藤さんは48歳。開発までは、1日平均4時間という短い睡眠時間で、丸1年間1日の休みもなく、たった1人で研究を続けたとされる。

安藤百福さんはチキンラーメンを発明する前にも沢山のことを発明し、沢山の特許をお持ちだったようです。で、上の6つの項目は他にはない商品・サービスを発案するポイントです。常識にとらわれず、様々な角度から客観的に自分のビジネスを見ることで他にはないものが生まれるということですね。

1:まだ無いものを見つける

2:なんでもヒントにする

3:アイディアを育てる

4:タテ・ヨコ・ナナメから見る

5:常識にとらわれない

6:あきらめない

ビジネスは「同業者」(ライバル)よりも「異業種から学べ」ということもうなづけますね。

幼い頃に両親を亡くした安藤百福さん。呉服店を営む祖父母のもとで、商売の現場を間近に見ながら育ちました。独立心と事業意欲が旺盛だった百福さんが

「誰もやっていない新しいことをやりたい」

と、最初に選んだのは繊維事業。

22歳の若さでメリヤスを販売する会社を設立すると、大成功を収めました。ほかにも、幻灯機の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造、製塩や学校の設立など、さまざまな事業を手がけました。

時代の流れをいち早くキャッチして、すぐに事業化するベンチャー精神と、失敗してもあきらめないバイタリティーは、この頃から芽ばえていたのです。そして、どんな事業も

「何か人の役に立つことはないか」

「世の中を明るくする仕事はないか」

という百福さんの確固たる信念のもとに行われていました。

このように百福さんはバイタリティ溢れる事業家でした。成功と失敗を繰り返しながらも、地元では知る人ぞ知る存在だったそうです。

そんなある日「信用組合の理事長になって欲しい」と懇願される。お願いをされると断れなかった百福さんは結局、その役を引き受けることにしました。

しかし、6年後の1957年に倒産。すべての財産を失い、残ったのは大阪府池田市の借家だけでした。百福さんは多額の損失を一手に背負うことになったのです。

自宅の家財一式は差し押さえされ貯金を崩しながらの生活。一時期は一家の貯金が1000円になったことも。凡人ならここでジ・エンドでしょうね。

しかし、百福さんは違いました。途方に暮れることなく

「失敗をしてもこれまでの経験は血肉になっている。勝負はこれからだ」

と熱いものが込み上げてきたそうです。

実は百福さんは厚生省に出向きラーメン食の普及を訴えたのに相手にされなかった苦い体験がありました。当時の日本政府はアメリカの余剰小麦を使った食事を奨励していたものの、そのほとんどはパンやビスケットになっていました。

「同じ小麦を使うなら、なぜ日本人の好む麺類を奨励しないのか?」

と百福さんは疑問に感じていました。

パン食では栄養が偏りますからね。同じ小麦粉を使った日本人に合った食べ物で栄養の偏りのないものということでラーメン食の普及を訴えたのでした。

しかし、当時はもちろんチキンラーメンのようなものはなく「ラーメンはパンのような効率性はない」ことを理由に却下されたのです。しかも、厚生省からは冷たく「そんなにラーメンを普及させたいのならあなたがやればいいじゃないか」と追い返されたとのこと。

で、当時のことを思い出した百福は「そうだ!家庭で簡単に食べられるラーメンをつくるぞ!」という決意に至ったのです。

百福さんはひたすら小屋の中でラーメンづくりに没頭しました。しかも、なんと「完成形すらわからないまま」の研究だったそうです。近所の方からも「あんなに立派だったのにあの人も落ちぶれたねぇ」と陰口を叩く者も。

百福さんは開発にあたって5つの目標を立てました。

①おいしくて飽きのこない味にする

②家庭の台所に常備できること。

③調理には手間がかからないようにする。

④値段が安い。

⑤安全で衛生的であること。

このように目標を定めたものの、安藤は麺作りについてはまったくの素人だったため、山のような試作品を作っては捨てる日々が続きました。

気の遠くなるような作業をくり返し、ようやく理想的な配合にたどり着いた百福さんは、「食品とはバランスだ。食品の開発は、たった一つしかない絶妙なバランスを発見するまで、これでもかこれでもかと追求する作業である」と悟ったのです。

ある日のこと、百福さんが台所へ行くと妻がてんぷらを揚げていました。熱い油の中に入れられた小麦粉の衣は、てんぷら鍋の中で泡を立てながら水分をはじき出していました。

「これだ! 天ぷらの原理を応用すればいいんだ! 」

ヒントを得た百福さんは早速、麺を油で揚げてみることにしました。すると予想どおり麺の水分が高温の油ではじき出されました。ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性を獲得。加えて簡便性についての問題も、この製法で解決することがわかりました。

注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻ったのです。

発売当時の「チキンラーメン」の価格は1食35円でした。うどん玉ひとつが6円の時代だったので百福さんが営業回りをすると、問屋の主人の誰もが「これでは商売にならないよ」といった反発を喰らいました。

しかし、「チキンラーメン」を実際に食べた人々からの “おいしくて便利だ!” という声が日に日に高まり、やがて問屋へ注文が殺到。ついには、問屋のトラックが工場前で列をなして「チキンラーメン」のできあがりを待つほどの大ヒットとなりました。

チキンラーメンが誕生した当時は共働きや核家族が増え始めた時代でした。お湯を注ぐだけで食べられ、長期保存できるインスタントラーメンは共働き世帯の主婦の味方となったのです。

チキンラーメンの開発に成功した百福さんは休眠していた会社の屋号を「日清食品株式会社」と改め、沢山の従業員を雇いました。こうして日本全国に普及されていくことになったのです。

しかし、良いことばかりではありません。というのもチキンラーメンを模倣した類似商品で追従してくる企業が軒並みに増えたのです。しかもそれは品質の悪い粗悪品。なかにはパッケージまで同じようなものもあったそうです。

こうした状況に困った厚生省は安藤百福さんに「インスタントラーメン業界をまとめて欲しい」と打診。一企業としての活動だけでなく一産業としてのリーダーシップを担うことに。

カップヌードルの誕生

私が生まれる1年前だったんですね。夜中に両親が「大人の食べ物や」と言って食べていたのを覚えています。

カップヌードルの開発秘話が実に面白い(^^)/

1966年、「チキンラーメン」を世界に広めようと考えた安藤が、欧米へ視察旅行に出かけた時のこと。現地で訪れたスーパーの担当者たちは、「チキンラーメン」を小さく割って紙コップに入れ、お湯を注ぎフォークで食べはじめました。これを見た安藤は、アメリカにはどんぶりも箸もない、つまりインスタントラーメンを世界食にするためのカギは食習慣の違いにある、と気づいたのです。そしてこの経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発に取りかかりました。(日清食品ホームページより抜粋)

新製品の開発は、容器を作ることから始まりました。安藤が理想とする “片手で持てる大きさの容器” を見つけだすため、40種類近くもの試作品を作って検討を重ねました。その結果、紙コップを大きくしたコップ型が採用されました。カップの素材として選んだのは、軽くて断熱性が高く、経済性にも優れた発泡スチロール。

しかし、当時の日本ではまだ珍しい素材だったこともあり、薄く加工し、片手で持てる大きさに成型することは容易ではありませんでした。そこで、安藤は米国の技術を導入し、自社で容器製造に乗り出したのです。臭いがなく、食品容器にふさわしい品質に精製するまでには時間を要しましたが、米国食品医薬品局 (FDA) の品質基準をはるかに上回るカップを完成させました。

カップは完成したものの、麺をカップに収めることも難しい問題でした。カップは上が広く下が狭いため、麺をカップよりも小さくすれば簡単にカップの中に入る一方、輸送中にカップの中で麺が揺れ動くので壊れてしまいます。そこで考え出したのが、カップの底より麺を大きくしてカップの中間に固定する〈中間保持法〉のアイデアでした。

しかし、いざ麺をカップに収めようとすると、傾いたり、ひっくり返ったりして、うまくいきません。寝ても覚めても考え続けていた安藤が、ある晩、布団に横たわっていると突然、天井が突然ぐるっと回ったような錯覚に陥りました。「そうか、カップに麺を入れるのではなく、麺を下に伏せておいて上からカップをかぶせればいい」とひらめいたのです。この “逆転の発想” によって確実に麺をカップに入れることができるようになり、工場での大量生産が可能となりました。

ほかにも容器のフタや具材、麺の揚げ方など、さまざまな知恵や工夫が詰め込まれた「カップヌードル」。安藤が「ひらめきは執念から生まれる」と語っていたように、新しい素材や技術を導入するだけでなく、自らも新しい手法を発案し、次々に課題を解決していきました。こうして誕生した新製品は、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付けられ、1971年9月18日に発売されました。(日清食品ホームページより抜粋)

カップヌードルは、袋麺が25円の時代に1食100円と高価なものでした。また立ったまま食べるのは良風美俗に反するという意見も飛び出し、なかなか店頭に並べてもらえなかったそうです。

そこで安藤は、自ら新しい販売ルートを開拓し、それまでにない宣伝や販売促進を行うことに。

お湯の出る自動販売機は、「カップヌードル」を買ったその場で熱いお湯を注いで食べられると話題を呼び、1年間で全国に2万台が設置されました。

「100円で一般消費者に売るのは現段階では厳しい」

と判断した百福さんが選んだ販路先が「自衛隊」でした。その価格でしか利益が出ないのなら、その価格でも買ってもらえる販路先を選んだということです。

ここはめっちゃ重要なマーケティングポイントですね!

結果的には昭和47年に起こった「浅間山荘事件」をきっかけに、テレビを見た人が

「自衛隊が食べているアレ、なんや?」

となって、カップヌードル人気は一気に加速しました。凄いですね!

次に百福さんは若者が集まる銀座の歩行者天国に着目しました。「カップヌードル」の試食販売を実施すると、予想をはるかに超える人が押し寄せ、多い日には2万食を売り尽くすほど人気を集めました。

さすがは百福さんです!タイミングを見るセンスがあります。ワンマン経営者の鏡ですね。

このようにカップヌードルが平和的に活用されるというのもいいですね。2011年3月11日の東北関東大震災の時もカップヌードルが喜ばれたとニュースになりました。

宇宙食の開発を宣言したのはなんと91歳の時でした。プロジェクトチームの結成、そして自ら陣頭指揮をとって宇宙食の開発がスタート。

宇宙食ラーメン「スペース・ラム」は、無重力状態でもスープが飛び散らないようにとろみをつけ、麺を一口で食べられる大きさや形にするなど、さまざまな工夫を凝らして完成しました。

人生最後の最後までチャレンジャーだったのですね。

「オレもやるぞ!」ということで、歴代の偉人たちとのショットです。

安藤 百福(あんどう ももふく、出生名吳百福(閩南語白話字:Gô͘ Pek-hok)、1910年3月5日 – 2007年1月5日)は、台湾出身の実業家、発明家。日本で「チキンラーメン」と「カップヌードル」を開発し、世界的に普及したインスタントラーメン産業の創始者となった。日清食品の創業者。位階は正四位。勲等は勲二等。(wikipediaより)

マイカップヌードルファクトリーを見学

入り口は空いていたのに中は人で溢れていますね!フロアーは人で一杯に。家族連れが多いですね。

ここからは体験ゾーンです。なかにはお互いのカップヌードルを作って交換しているカップルもいました。

今回は参加できなかったゾーンなので前回に撮影した写真で失礼します。こんなカンジで好みに合わせて作ることができます。

前回来た時の娘と私の具材です。子供の頃は「コロ・チャー」と呼ばれている肉が好きで、ずっと噛んでいたのを覚えています(笑)

封をするところです。

隣の家族のものを撮らせてもらいました。家族愛あふれる仕上がりですね♡

世界にたった一つのオリジナルカップヌードルです(^^)/ 赤い紐で首にかけられるようになっています。※昨年つくったものです。

他にも遊戯施設やレストランなどを紹介したかったのですが、ここに来て娘の体力がピーク。今回はこれにて終了ということに。

ココでしか買えないものもあります。

ランドマークタワー内のスタバでお茶をしてからJR桜木町に。このあたりも変わりましたね。

JR新横浜駅でMr.Tとお別れです。我々もそろそろ帰ります。

まとめ

安藤百福さんから学んだことを5行でまとめるならこうなります。

1:人生いつからでもスタートが切れるということ。

実際にチキンラーメンを発明したのは48歳で宇宙食を開発したのは95歳ですからね。ゴールを決めて目標を設定することでいつまでも若々しくいられるということです。

2:うまくいくまでやり続けろ!

失敗は成功の母とも言いますからね。成功確率を上げるためにはやり続けろということです。あのイチローだって凡打で終わることもありますから。成功の反対は失敗ではなく「なにもやらないこと」だと知るべしですね。

3:シンプル・イズ・ベストというコンセプト

ヒット商品のコンセプトは「カンタン」で「便利」に尽きますね。複雑なものはなかなか世の中に浸透しません。今で言うとアイフォンなんかもそうです。シンプル・イズ・ベストが商売繁盛のキーワードでしょうね。

4:ヒントは身近にあるということ

妻が天ぷらを揚げている姿を見て「瞬間油熱乾燥法」を発見したように、成功のヒントは遠くではなく身近にあるということです。常識そのものを疑った方が良いのかもしれませんね。実際に百福さんも「今日の非常識は明日の常識」と言っています。

5:志高く、ゴールを設定するということ

ゴールを設定することによって頭の中に必要な情報を引き寄せるというアンテナが立ちます。百福さんが人一倍に独立心と事業意欲が旺盛だったのは「誰もやっていない新しいことをやりたい」という志があったからこそです。

最後に安藤百福さんの名言を紹介して終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

安藤百福の名言

目標を持ったら、あとは執念だ。

転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い。

事業のヒントは周りを見わたせば、どこにも転がっている。

事業化できないアイデアは、単なる思いつきにすぎない。

本当のアイデアとは実用化されて、成功を保証するものである。

事業を始めるとき、金儲けをしようという気持ちはなかった。

何か世の中を明るくする仕事は無いかと、そればかり考えていた。

即席めんの発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった。

過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている。

どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない。

私は眠るときも、メモと鉛筆を枕元に用意する。あなた方も四六時中考える習慣をつけなさい。

事業を始めるとき成功を語るな、失敗から考えろ。

新しいものを創造する力が無ければ、企業は存続できません。

未来とシナリオなき事業は、すべて清算しなさい。

企業は夢がなくてはならない。

夢が現実のものになるとき、飛躍的に成長する。

企業という言葉は創造と同義である。

新しいものを世の中に提供していく力がなければ企業である必要はない。

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